2011年9月24日土曜日

備中松山城!!

 この前の続き。


 「備前長船刀剣博物館 備前おさふね 刀剣の里」を離れ、次に我々が向かったのは備中松山城であった! 備中松山城は岡山県高梁市にある城であり、標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、江戸時代からの現存天守。また日本で唯一土塀も現存しているということで、文句なしに国の重要文化財として指定されている。

 なお、この備中松山城、現存天守を持つ山城としては最も高い所に位置し、「日本三大山城」の一つにも数えられているとか。

 そんな高所に位置しているため、登るのも結構大変。駐車場のある「ふいご峠」(8合目)から徒歩20分、高低差140m程の山道を歩かねばならないのだが、この駐車場までの道も急峻で、車二台がすれ違うことはまず無理。そんなわけで、繁忙期と土日は原則、車はすべて城見橋公園(5合目)に駐車。シャトルバス(往復300円)で移動することとなっている。ちなみに、運営してるのは地元のおっちゃんたちらしく、基本的に元気でテンションが高い。いいことである。

 関係ないけど、検索してたら、こんなの見つけた。


■「郷土料理・味の伊知」さんの「備中松山城三色めん」

http://blogs.yahoo.co.jp/satyricon1968/35647605.html


 ぬおー!? しまったー!? 食ってみたかったー!!!


 さて、シャトルバスを降りた我々は、備中松山城への道を歩き始めたのだが、これがもー、坂はキツイ、足元は土で安定しない、道は狭いと、予想以上に立派な山道であった。






「ぬおー、キツい! こらしんどい!」
「こんな城攻めたくねーなー」
「うん。つか、あれじゃね? 天守が残ったのも、山の上すぎて潰しに行くの嫌だったからじゃね?」
「うはは、ありそう」

 とか言ってたら。


 本 当 で し た 。


『◆Q.日本の山城で現存しているのは備中松山城だけなのは何故?

明治時代になり新政府の廃城令で旧備中松山藩の山城、御根小屋、各番所のすべては取り壊されることになりました。

当時、これらの物件は競売にかけられましたが、とてつもなく大きな物件のためなかなか買い手がつきませんでした。

遂に5回目の競売で、ある呉服商が当時のカネ7円で落札しました。
これにより平地にある御根小屋等は直ちに取り壊されましたが、山頂にある松山城の取り壊しには大変な経費がかかり採算がとれない、やむなく政府には取り壊したと報告し、そのまま放置されました。それから四半世紀、明治政府の政策から難を逃れた松山城は解体修復され現在の姿となりました。』

http://ftown.boo.jp/takahashi/qa/qa.htm#3-3


 ちなみに、復旧されるまでは地元の猟師が狩猟小屋として使ってたらしいです。えらく豪勢な狩猟小屋だな!

 また、こんだけの山城とあって、城主たちもそこで仕事するのは嫌だったらしく、藩主の日常の居館兼領内を治める政庁として、「御根小屋」という屋敷が麓に設けられた。また、この地に一時備中国奉行として赴任した小堀遠州(江戸初期の武士。建築・造園・茶道において巨大な足跡を残した才人)は、その「御根小屋」が再建中だったこともあって近くの頼久寺という寺で政務を執り、おかげで頼久寺には大変立派な庭ができたという。 仕 事 し ろ 。


「そーやって放置されてた城を小学校の先生が見つけて再建しよーって言い出したんだってさ」
「ほほー」
「で、当時の小学生が瓦持って上がって再建したんだって」
「小学生が!?」


◆備中松山城再建予想図



「せ、聖帝十字陵!?」
「ちげー!?」



 ヒーコラ言いつつ、よーやっとのことでたどり着いた備中松山城は、シンプルだけど大変良い城でした。同じく現存天守の丸山城などと同じく、急な階段や、古色蒼然たる板張りの間、天守から見る絶景も素晴らしかったけど、やはり凄かったのはその石垣。天然石の岩壁の上に築かれた石垣は荒々しく、うねり踊るような壮絶さでした。






 ところで、城主の間に飾られていたという「護り刀」が俺の厨二ハートを直撃だったんですが、これ今どこにあるんですか?




 とりあえず俺の「眼の前に立ったらピキーン!って共鳴が起きて『なんだ、これは?』と呟いた俺の手の中に剣がワープしてきて空から降ってきた女の子を守って大冒険が始まるかもしれない剣or刀」リストに追加しておこう、と思った。


 いやあ、面白かった!


 ただ、時間がなくて武家屋敷や頼久寺に寄れなかったのは残念でした。備中松山城三色めんも食べてないしね!

 連れていってくれたN先輩、付き合ってくれた友人M、さんくす! 楽しかったぜ!

 また行くぜ!

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