落ちたわー。昔と比べて体力落ちたわー。
物理的な体力だけじゃなくて、読書とかにかける体力もね。長くて堅い本を読みつづけるのがしんどくなってきた。
毎月10冊程度は本を買っているのですが、楽に読める雑誌やマンガを先に読んで、ついつい研究書やハードカバーなどといった重い本は、あとに回してしまう。しみじみ思うが、雑誌というのはよくできたメディアだね。一つ一つの記事が短いから、ちょっとした時間でも読むことができるし、開くだけでいいから、準備もいらない。様々な記事が載っているから飽きることもないし、自分の好きなタイミングで止めることも出来る。読み返すことも、保存しておくのも大した労力は要らない。唯一の欠点は、検索性だけか。「日記に書きたいんだけど、あの記事どこに載ってたっけ?」ってこと、よくあるんだよなあ。
そうやって、雑誌読む傍ら、ちまちまと読み進めていた本に『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、渡辺京二著)という一冊がございます。これは幕末~明治の開国前後に日本を訪れた外国人たちが、日本について書き残した文章から、当時の日本の実像を浮かび上がらせた名著である。
これがねー。めちゃ面白いんですわ! もう、固定概念覆されまくり!
ここに描かれている日本で、今と違い、また我々が思い浮かべるものとも違うものといえば、まずは風景だろうか。
幕末の江戸が、世界でも有数の人口を抱えた大都市であったことは、よく知られている。大都市ということで、時代劇に出てくるように、武家屋敷や長屋が密集して造られ、板塀が張り巡らされた都市のイメージがあるが、実際にはそんな風景はごく一部、中心街の表通りくらいのものだったらしい。
それ以外はどうだったかというと、「緑に満ち溢れた巨大な村」のような風景だったのだそうだ。渡辺氏は当時の外国人の言葉を借りて、その佇まいを「田園に浸透されている都市」と表現し、幾冊かの旅行記から、次のような文章を引いて説明してくれている。
「寺院の多くは丘の上にあり、常緑の樹々に覆われ、広い墓地に取り囲まれている。また大名の所有地も壮大な公園・庭園施設をもっている。そこで至る所、緑の樹々と水の流れと、実に多種多様な建築物が見られる」
「数多くの公園や庭園がこの江戸を埋めつくしているので、遠くからみると、無限に広がる一つの公園の感を与える」
「われわれが通り抜けたのは見事な公園だったのか、それとも日本の首府の周辺地域は、どこに行ってもここと同じように美しいのだろうか」
「なんと変化に富み、豊かな植物群であろう!」
「眼前に突然、魂に焼きついて一生消えずに残るにちがいない景観が広がった」
「見たまえ、これが江戸だ」
しかし、その風景はけして「文明の様子を失わなかった」。
『「住宅に面した部分の庭園では、樹木も潅木も自然の形をしていない。」。扇や帆かけ舟やついたての形をした植物が生えている。美しい砂利道に盆栽や花鉢が置かれ、金魚の池や人工の曲りくねった小川には苔むした石が突き出し、庭の隅には社が建っている。つまり「ここでは、自然はサロンのように着飾られ髪結われている」。そしてそういう庭園は「あらゆる不自然さにも関わらず、流行に合わせて飾りたてた可愛らしい貴婦人のように美しく快い。』
その風景を作り上げた人間もまた、違う。旅人は語る。
「なぜ主人があんなに醜く、召使いはこれほど美しいのか」
渡辺氏によれば、『上層と下層で、日本人にはいちじるしい肉体上の相違があることは多くの観察者が気づくところだった』のだという。我々は今、支配階級である武士は鍛錬によって隆々たる身体を有し、一方で町民・農民たちは穏やかで細い身体を持っていたようなイメージがあるが
「下層階級は概して強壮で、腕や足や胸部がよく発達している。上流階級はしばしば病弱である」
と語られているように、幕末に置いては、これはもう真逆だったようだ。特に肉体労働者のたくましい身体は賞賛の的であったようで、
「黄金時代のギリシャ彫刻を理解しようとするなら、夏に日本を旅行する必要がある」
と言う者すらいた。ただし「足が短いのが欠点」だそうだが。ほっとけ。
同じく、女性についても、同じような評価がある。曰く
「この国ではひとりとして格好いい男を見かけない。ところが女のほうはまるで反対だから驚いてしまう」
――と。
「日本の女は厳密な意味で美しいのではなく、感じがいいのだ」と言うものや、「日本女性を装飾品だと思っている」と言うもの、「日本の女は、とかく人形みたいで真面目に相手するまでもありません」と言ってドイツに帰り「本物の家族」を持とうとした者などもいたが、往々にして、日本女性の魅力は、男女を問わず、訪れた異邦人たちの心をつかんだという。
また、この女性たち、特に農民や職人の細君が家庭において「夫と労働を共にするだけでなく、その相談相手にもなる。主婦が一家の財布を預かり、実際に支配をすることが多い」という権威と権力を有していたことも、旅人たちがつとに指摘しているところだという。
この魅力的な女性たちが、街角であらわな姿を見せるのも、当時と今の大きな違いであろう。
当時の日本を訪れた外国人たちを一様に驚かせたのは、日本人の裸体に対する羞恥の欠如だったという。江戸期の日本において、公衆浴場が混浴であったことはよく知られているが、それどころか、街角で普通に、女性が素っ裸で行水をしている姿が頻繁に見られた。
ホジソンという英国領事が横浜に赴任すべく江戸を訪れた時など、こんな事件が起きたという。
「男女の入浴者が入り乱れて、二十軒ばかりの公衆の小屋から、われわれが通りすぎるのを見物するために飛び出してきた。皆が何一つ隠さず、われわれの最初の両親(アダムとイブ)が放逐される前の、生まれたままの姿であった。こんなに度肝を抜かれたことはなかった。……男女の入浴者が全員、裸であるのに平気で、意識も顧慮もせず、新奇な光景をゆっくりみて、好奇心を満足させようとした」
こういった光景を「暗愚と退廃」として唾棄したものもいたが、多くはやがて、その振る舞いが天真爛漫さより生まれたものであることに気づき、淫らなのは自分たちの方であったと恥じいることになる。そして、自分たちが目にしているのは「楽園の無邪気さ」であり、「堕落以前のイヴ」なのだと悟るに至るのである。
こういった「身体に対する羞恥心の欠如」は、同時に「性」に対するおおらかさと一体でもあった。当時の日本には「性」は穢れでも隠すべきものでもなく、むしろ称揚すべき存在だった。それは各地で男根・女陰の形をした石や木が崇拝されていた、などといった古俗だけではなく、生活に深く溶け込んだ存在だった。
「絵画、彫刻で示されるわいせつな品物が、玩具としてどこの店にも堂々とかざられている。これらの品物を父は娘に、母は息子に、そして兄は妹に買ってゆく。十歳の子どもでもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人がほとんど知らないような性愛のすべての秘密となじみになっている」
『本屋でよく見かける三文小説の挿絵には「品位というものにまったく無頓着」なものがあり、しかもそういう絵本を子どもが手にしていた。子供らは「それが何の絵であるか熟知しているらしかった」』
「あらゆる年齢の女たちが淫らな絵を見て大いに楽しんでいる」
ことほど左様に性に対して開放的なお国柄であったので、遊女についても偏見はない。それは職業の一つとしてみなされており、貧しさから売られた子どもでも、25歳になって年季が開けると「尊敬すべき婦人としてもとの社会に復帰」し、「恵まれた結婚をすることも珍しくない」。
そして奉公中も
「両親は遊女屋に自分の子を訪問し、逆に娘たちは外出日に両親のいる住居に行くのを最上の楽しみにしている。娘が病気にかかると、母親はすぐに看護に来て彼女を慰める」。
こういった社会であるので、処女崇拝なんて概念は一般的ではなかったし、離婚もなんの不名誉にもならなかった。
意外、といえば仕事に関する価値観の相違もそうだろうか。当時の労働者達は、働きたい時に働き、休みたい時に休んだ。社会には悠長さがみなぎっていた。
「日本人は交渉が始まろうというのに、いつまでも座り込んで、喫煙したり、あたりを眺めたり、あたかも気晴らしにでも出かけているつもりらしい。そしてこういう場合なのに、お茶を飲んだり菓子を食べるといった暢気さである」
「商取引きの場合でさえ、ヨーロッパ商人の最大の当惑は、時間通りに契約を実行させるのが難しいことであった。いや、不可能だったといったほうがよいかも知れない」
「日本人の働き手、すなわち野良仕事をする人や都会の労働者は一般に聡明であり、器用であり、性質が優しく、また陽気でさえあり、多くの文明国での同じ境遇にある大部分の人より確かにつきあいよい。彼は勤勉というより活動的であり、精力的というより我慢強い。日常の糧を得るのに直接必要な仕事をあまり文句も言わずに果たしている。しかし彼の努力はそこで止まる。……必要なものはもつが、余計なものを得ようとは思わない。大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事にとりかかろうとも決してしない。一人の労働者に何かの仕事を命じて見給え。彼は必要以上の時間を要求するだろう。注文を取り消すと言って脅して見給え。彼は自分が受けてよいと思う以上の疲労に身をさらすよりも、その仕事を放棄するだろう。どこかの仕事場に入って見給え。ひとはタバコをふかし、笑い、しゃべっている。(中略)仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ、寒さ、雨、それから特に祭りである」
『いわゆる発展途上国の近代化の困難について嘆く、今日の先進国テクノクラートの言い分にそっくりだ』と、渡辺氏はユーモアを交えて語る。
だが、そんな中にも、やはり国民性とも言うべき、変わらぬものを見出すことができる。
(続く)
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